Wednesday, November 24, 2010

ベトナム食事とテーブルマナー

 私は、飯を一日に二か三回食べて育ったのに、飯のメリットを全然分かってしまった。食事の基本的な料理は、汁物、魚か肉化野菜、漬物だった。苦難の年代では、塩か漁礁の味を調えた飯だけか野菜か薩摩芋を添加した。
 ベトナムエチケットでは、食品は、コタツのようなテーブルに置かれるかもしれない。でも、私の家族にとって、田舎に住んだったからわらむしろに座ってしまった。ナイフとフォークがあまり使わなかったがむしろ、野菜や肉がよく租借に切たんだから、端で簡単に拾い上げる。
 食べる前に、皆は長老がテーブルにいるのを待つ必要である。それで、若い者は、年上の人に一人一人で招かれる。友達の家に泊まった日では、ご家族と晩御飯を一緒に食べた。何十人もいたが、友人と私が最年少だったから、長い時間がかかった。しかも、招きの中、その人を「おじさん、おばさん」のなど正しく呼ばなきゃならない。しかも、ベトナム語では、それらの言葉が多くの呼び方がある。間違う言葉を使ったら、失礼としてなって文句を言わせる。残念だったわよ。今、一人でたべているので、そのマナーを行わなくてとても寂しいわよ。

Friday, November 5, 2010

B4 ツタンカーメンの日


Tutenstein makes mummies fun and exciting!
ツテンステンのカートウン

私は、アジアの文化だけではなく、エジプトやルネッサンスに興味にしてる。高校時代の3年間、妹と一緒にツテンステインというカートウーンを見たものだ。しかし、現在、テレビがアパートにないので、もうそれを見ることができない。そして、まだやっていると思っていない。


11月4日に、ツタンカーメンの古墳を発見した日を祝う日だ。日についてESLの先生から習わせていただいた。
この日には、妹にエジプトについてもツタンカーメンについても[The Curse of King Tut's Tomb」「Ms. Frizzle's Adventures: Ancient Egypt」のなど 本を読んでいた。

一年の中学生時代、ベトナム語に訳した王家の紋章を読んだ本から、ベトナム以外に、他国を知り始めたのは初めだった。おかしい。無知だったか、ただ何も知らなかったかどうかだろうか。

母は、いつも仕事をしていたから、私と兄弟と時間を過ごせなかった。この日には、一緒二時間を過ごす一つの楽しみ方だった。今、そのこういうことを考えると、兄弟の状況も同じそうだ。大学に入ってから、頻繁に家に帰っていない。私は、時間の大半をシアトルにいるので、気がとがめている。帰った時は、週末の間一泊か二泊泊まれている。妹が、私なしでまだその本をよんでいるのかな。